World Tour 1981

”全ての存在を縛りつけている力から
己を解き放つのは、
自らを克服する人間である。”

ーギョエテ 『秘密ー断片ー』 

その1…旅に出よう

私はチャクラのエンジニアを「僕、休憩しまーす。」といって突然やめてしまった(詳しくはKillingTimeのページ参照)。それまでのチャクラでの活動はとても刺激的で面白かったのだが、今思うにも、その頃私がやっていたことは、当時の電子楽器におけるテクノロジーの発達状況をまるで無視した、無謀ともいえる欲張りすぎの行為だったのだ。それにもかかわらず、ステージが終わってもなぜか残る物足りなさによるストレスとのギャップの理由を、旅に出て考えようと思ったわけだ。

さて、どこに行こうか。アメリカは肌に合った国ではあったが、それまでにも何度も行っていたし、だいたい日本という国自体がアメリカの方を向きすぎてる。私には大阪との区別があまりつかないくらいだ。(旅から帰ってからの感覚だが、私にとって外国とは北は秋葉原より先、または池袋より先、南は箱根より先のことで、あとはどこでも一緒である。んで、基本的に私は外国が好き。)ここはやはり、全くわけわからんちんの所へ向かうが良かろう。

旅費についても考慮する必要がある。チャクラのエンジニアのギャラはオス一人分は充分にあったが、もちろん蓄えなどはあるわきゃない。しかし、幸いなことにわが家はヒコー一家というやつで、オヤジは某ナショナルフラッグの航空会社の操縦室乗務員(役職はウンコー乗員室のしかもシッコー係だ。スゴイだろ?)、アネキは同じく客室乗務員(スッチーってやつだな)、オフクロはちょいとウェイト・オーバーで飛べなかったんだが、私は非行少年ということで、なんと「どこへ行こうとタダ」なる権利が不詳の息子にも与えられていたのだ。今にして冷静に考えれば、もっと遠く航空料金もさらに高いブラジルなんぞを選ぶべきだったかもしれないが、既に私の頭の中には、シャクティのタブラとガッタムが、マクラフリンのギターがきついチョーキングをかけて鳴り響いていた。インドだ。インドも十分飛行機代は高い。なんか、頭の中で意味の無い金額計算がなされていた。が、とにかく、インドが呼んでいたのだ。インドには行こうと思っても行けるものじゃないと、先人も言っている。行けるときにはインドのほうから呼ばれるのだそうだ。

まさにこのとき、インドはカナキリ声をあげて私を呼んでいた!!

つづく


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