World Tour 1981

かくして不安の一夜は明ける。
どうなるMa*To?
はたして、三日もつのか?

その3…不安と、最初の自己再発見

インドでは、生水は決して飲んではならない。ものの本によるジョーシキである。よって、私もちゃんとバックパックにストーブと水筒を詰めて持ってきた。毎日ストーブでお湯を沸かし、湯冷ましを作って水筒に入れて飲むというわけだな。アイスクリームや氷の入った飲み物は論外だ。インド人が、わざわざ湯冷ましで氷を作ってるわけないからな。いろいろ、話は聞いてるぞ。カルカッタ空港にトランジットで、1時間半だけ立ち寄った際に食べたアイスクリームで赤痢になった人のこととかね。昨日のタクシーのような旅行者の無知につけ込むボッタクリとかサギとか、ペテンとかドロボーの手口とか。一人旅の旅行者同士が出会えば、お互いの体験談だけで2〜3日は退屈しないだろうよ。この手の話はインド本の中では定石だな。まるで北京曲技団(ゼンジーの方ぢゃないぞ)かザッパの音楽みたいに、これでもかこれでもかと言う具合にいろんなたまげた話が出てくる。どれも極端で、かなり誇張が入ってると思うかもしれないが、実は殆ど全部本当なんだな。
うそだと思うならインドに来てみろてんだ。

極端といえば、インドはまさに極端の国である。暑い寒い、甘い辛い、貧富の差もすごい。どこの国でも、もちろん良い人もいれば、悪い奴もいる。これはあたりまえ。ほんと、世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えがあるんだよな。そう思うと、違えば違うほど、それはおもしろい。だから、ある側面だけを見てステレオタイプに判断をするのは間違ってる。
それにしても「極端」の対極に位置する日本人の感覚からするとインドというところはものすごい。ということはイコール、ものすごくおもしろい。だから、以後の6ヶ月間、私は毎日びっくりして毎日大笑いで過ごすことになるんだ。

国民性の違いというものはその土地の気候によるところが大きいんだろうか。日本人は大和の昔より、外国の文化を何のてらいもなく受け入れ、それを自己の文化として吸収してきた。宗教も明治維新も終戦後の米国指向もしかり。この節操の無さ、執着心の無さは、極端ではないけれどもはっきりとした四季の変化に対してしょっちゅう衣替えをしなければならないというところから来ているのだと云う説を、誰かから聞いた。おもしろい説ではあるな。
しかしだ。おまけに戦後、軍国主義と一緒に何を間違えたか、誇りと思想と文化をも捨てての経済一本槍状態。こうなってくると、日本もかなり極端ではある。極端に変わった国かも知れないよ、世界の中では。

渡印初日にこんなことを思った訳ではなく、それどころか、まだ自分のいる場所すらもよく把握していない。どうやらこの辺は大使館などの多い、少々高級な場所であるらしいのだ。
そこで私は水筒を持って、より安い宿探しに向かった。
結局その晩引っ越したホテルは、約半額の140ルピー(3500円)の所。エアコンは無くなった。翌日はさらに半額の70ルピー、シャワーもついに冷たい水。翌々日25ルピーで共同便所、共同シャワー、さらに次の日、15ルピー(375円)で家具は枠に荒縄が編んであるだけのベッドのみ、という具合に「半額/日」を目安にランクを落としていく。

旅行指南書の指導に忠実に、毎日湯冷ましを作って水筒に移し持ち歩いていたわけだが、そうこうしているうちに、私はようやく気付いた。こんなこと、いつまでもしてられない。実は私はかなりの面倒くさがり屋なのである。
以後、生水をごくごく飲んだ。もうひとつ気付いたことは、飛行機を降り立ったときのあのキョーレツな匂いの感覚が、いつのまにか消えていることである。

かように三日目にして、遠い地の不衛生で強烈な環境にべそをかいていた良家のおぼっちゃまは、環境適応能力に優れた、只の無精者に過ぎなかった自分を再発見するのであった。

つづく


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