World Tour 1981

 

さあ、インドは広い
リシュケシュ目指して出発だ

画:Dominique

 その4…リシュケシュへ

良家の子息であるところの私は日本を発つ前、心配する良家のお父様、お母様を安心させるべく、綿密な良家的印度各地訪問予定表を作成していた。それによると、首都ニューデリーからガンジス河のほとり、ビートルズも訪れたTM瞑想の本山もあるリシュケシュにまず向かい、北へ、東へ、南へ、西へと右回りにインド各地を廻ることになっている。まず最初の目的地は、北へ汽車で一日の聖地リシュケシュである。

リシュケシュはベナレス(ヴァラナーシ)と同じく、ガンジス河沿いにあるヒンドゥーの聖地のひとつであり、ハタヨーガの中心地である。ヨーガというと、針の上に寝てみたり、地面に頭をうずめてみたり、片手をずっと上げたまま20年間だとか、ハイヒールで踏まれてアハーンって云ってみたりするやつだが、ハタヨーガは基本的には呼吸法と瞑想と体操?(あのいろんなポーズをとったりするイヤラシイやつ?:ソイツは48手!)が中心であるそうな。リシュケシュにはアシュラムと呼ばれる、そのハタ・ヨーガの道場がたくさんあって、汽車の中で早くも風邪を召してしまった、ひ弱な良家の子息は(くどいな)インドの気候に慣れる間このアシュラムに滞在することにした。だって健康によさそうだし三度の食事も付いてるらしいじゃん。

当地に幾つかあるアシュラムの中では、シヴァナンダというのが一番でかくて有名なのだが、私は天の邪鬼なもんで、その手前にあった小さなヨガニケタンというアシュラムを選んだ。最短で2週間は滞在しないといけない決まりだそうだ。ちゃうど良い長さだ。でも、リシュケシュはそんなに大きな町ではないから、暇をつぶすためにも、あのジョン・マクラフリンのバンド「シャクティ」で、テケテケ云っていたタブラという太鼓を習うことを思いつく。

隣のシヴァナンダ・アシュラムへでかけて、音楽の先生を探す。シヴァナンダは大きいアシュラムで外国人も多いので音楽のクラスもあるのである(普通のインド人にはわざわざ楽器を習ったりという余裕はないらしい。音楽家も世襲制なのだ)。音楽クラスの先生である爺さんは、おらよりもうまい人がいるからと、町はずれに住むリシュケシュ一番の音楽家、ミスター・ウッタムを紹介してくれた。さっそくウッタム・ミュージック・スクール(実際はそんな大それたものではない)を訪れ、タブラを教えてくれと頼む。期間はどれくらいのつもりか聞かれた。ヨガ・ニケタンには少なくとも2週間いなきゃならんのだから2週間くらいと答えるとウッタム先生、大きな声で笑いながら、まあ今晩いらっしゃいと言う。はて、なんで笑ってるのかしらと思いつつ、部屋に戻った。

ヨガ・ニケタンのゲストルームは2人で一部屋となっていて、私のルームメイトはベルギーから来たマリックという外交官の卵だった。すぐ我々は仲良くなり、一緒だった間は午前中のヨガのクラスが終わると連れ立ってガンガ(ガンジス河のこと)の渡し場にある茶店に行き、チャイを飲みながら日がな語り合うのが日課となった。(けっこうカタイ話が多かったな、私にしちゃ。)彼は1994年に河口湖スタジオに篭って岡崎倫典(ギタリスト)さんのアルバムを制作したときに知り合った、良き友ジョン・ジェイコブスと良く似たタイプの、俗に言う「とてもいい奴」で、長く付き合っていれば私にも政治家の親友ができてたかも知れない。(8ヵ月後にベルギーに立ち寄った際に彼の実家に連絡をとってみるとまだ帰国していなかったので、外交官には成れなかったのかも知れぬ。あんないい奴は政治家の柄ではないということか。)

つづく


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