World Tour 1981

大晦日に夜逃げというわけではないが、
ちょっと悲しい。
でもここは、なにしろ、インドだ。

 その6…Swiss Cottage

この頃、仲良くしていた友達にポルトガルからヒッチハイクでやってきた2人組がいた。名前は忘れちゃったから、ポルとガルっていうことにしておこう。
ポルトガルは貧しい国だそうな。んで、やっぱり金の無いポルとガルは、ここまでヒッチで頑張って来たんだそうだ。近ごろの言い方だと猿岩石かドロンズあるいはパンヤオだな。
それにしても、陸続きのヨーロッパからは、自家用車や列車、バスと様々な方法で安くインドに来る方法があり、我々日本人にはうらやましい限りである。歩いてだって来れるんだからね。我々には、まず北朝鮮という障壁があるし、当時はビルマも陸路で入ることは許され無かったからね。ヨーロッパからは、彼等の様にヒッチで来る者も珍しくはない。(オーストラリアから自転車で来て、イギリスまで行くという奴らにも出会ったが、海を自転車で渡って来るのはさぞかし大変だったことだろうな。)
このポルとガルとは例の渡し場の茶店で、またヨタ話しをしているときに、安宿情報を尋ねられて知り合ったのだった。

ポルとガルは、船付き場に繋がれてた船を1日3ルピー(80円也)だかで借りて住んでいた。この値段は私の知る限り、リシュケシュで一番安い宿だったな。3ルピーの宿は他にもあったが、そういう所はたいていドミトリー(大部屋)で、汚いなりの貧乏旅行者が(って私も変わらなかったが)暑い中にたくさん詰め込まれてアヘン窟みたいにごろごろ横たわっている様な状態だったから、この涼しい河の上の物件はなかなかに良い出物だったと記憶している。
アシュラムを追い出された私にスイス・コッテージの存在を教えてくれたのは、ロー・バジェット・リアル・エステート関係にめっぽう強い彼等だったという訳。

スイス・コテージはシヴァナンダアシュラムの坊さん、スワミ・ブラーマナンダの経営するアパート、貸家の集落に付けられた名前で、値段の安さは勿論、スワミのその高い人徳も評判であった。長屋風のアパートにはインド人が住んでいたが、その隣の敷地にはいろいろなタイプの小さな小屋があって、こちらは外国人旅行者達が好んで住んでいた。私はスワミの家と棟続きになったコンクリート造りの小屋を一月150ルピーで借りることにした。共同便所とシャワーは少し離れたところであったのだが、この小屋には入り口を入った土間に蛇口とシャワーが付いており、奥は一段高くなっていて寝床とタブラの練習スペースがとれたのであーる。

隣の小屋はツーバイフォー的な木板で組まれた、かわいらしい家(最も家らしい形をしていた)で、ドミニクというレバノン娘が住んでいた。ドミニクのかわいい家はビートルズがTM瞑想というやつにのめり込んでリシュケシュに来た際、マネージャーだか誰だかが建てたんだそうだ。マネージャーというのは誰かの勘違いかもしれないが、確かに洒落た造りだ。もっとも、屋根も壁もすき間だらけのデザイン(ちょうど、木造建築の壁を葺く前みたい)なので、近寄れば着替え中のドミニクが丸見えだった(のはず)。

スワミの家の反対側はコンクリートの2階建てになっていて、下にはヒマラヤの山奥に住むグルに師事して数年という日本人のシタール弾きの夫妻が冬の間だけ住んでいた。シタール弾きのコウローさんは喜多郎そっくりのやせた風体で、裸足でインドの大地をすべるように歩き、静かに語り、いたずらっぽい笑いをうかべる(実際、いたずら好き)魅力的な兄さんだ。奥様も強くやさしくさっぱりとした気質で、とても魅力的なカップルである。
上の住人は南アフリカから徴兵を逃れてやって来たジョンといって、ボーア人にしてはえらく小柄で愛想のいい奴だ。
向かいの小さな小屋には、のっぽのスイス男とこれまた背の高いコスタリカ美人のカップルが越してきた。

スイス・コテージの生活は快適で、コウローのシタールと一緒に練習したり、ドミニクとフォークソングを唄ったり、時々ポルとガルがギターを持って遊びに来たり、単に穴が空いているだけだった窓に木枠とビニールの開き扉を造ったり、アパートに住むインド人の電器屋宅に一日に数時間しかないTV放送を見にいったりする。
ホタルも初めて見た。私はハワイの満天の星の中、初めて流れ星を見て、星の見える所であればしばらく見上げていれば幾らでも流星を楽しむことができることを知ったのだが、ホタルは見たことがなかったのだ。
スイス・コテージのホタルは聖地にふさわしく、木の梢いっぱいに、まるでクリスマスツリーのように灯った。

リシュケシュは聖地なので肉には一切お目にかかれない。そこで、コウローがネパール人を雇ってガンガ(ガンジス河)から魚を何匹か捕って来させた。スワミのいない時を見計らって(スワミとはヒンドゥーの坊さんなんかにつけられる敬称なわけで、やっぱり失礼ない様にしないとね。)調理し、ジョンと分けて夕食にする。

翌朝、食器を洗いに水道場所に集まった我々は、久しぶりの肉の味と秘密の共有感からか、スワミの登場に気付くと目配せなんかして、なんだかニヤついている。
わざとスワミの前で、ジョンに昨日のサブジー(おかず)の「野菜」はどうだった?と聞くと、ウン、おいしかったがちょっと「小枝」が多くてね、だってさ。
そりゃ、河魚だからな。小骨が多いんだ。

つづく


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