World Tour 1981

ボントビワイルド
ワイロでゴー!
カーストはノー!

 その7…カースト

リシュケシュの町からガンガに沿った道を、ヨガニケタンやシヴァナンダアシュラムのある上流に向かって歩いていくと、移民局の出張所の建物がある。そこは検問所のような造りになっていて、道を塞ぐことのできる踏切の遮断機のようなバーがある。実際は一度もそのバーが降りているのを見たことはないんだが、その横に立つ大きなカンバンには、絵と文字でこんなことが描かれてあった。自動車:50パイサ、人:25パイサ、などなど。下の方には山羊や豚の絵にまで5パイサと描いてある。ぶらり通りかかった動物達からは、いったいどうやって通行税をとっていたんだろう?

インドの町中には様々な動物がいる。犬はたいてい痩せ細っていて(ペットとして飼われることはまずないのだろう)、神聖な存在とされる牛が八百屋の店先から果物を失敬している。ニケタンでは猿にチャパティーを盗られる。通りのかどから姿を現わした大きな象は、路地に迷いこんだダンプカーか。が、それにしては街中に、牛や馬などの糞があまり落ちていないことに気付く。豚がせっせと片付けているのだ。カースト制度からも外れたインド最下層のハリジャンと呼ばれる人々の職業のひとつに掃除夫の仕事があるのだが、町中に見られる豚達は彼等に飼われているそうなのだ。朝方、出勤前に彼等は豚小屋の扉を開けて各自、清掃作業に出かけ、夕方にまた合流して一緒に家に帰るというわけだな。

夕飯を作るのに飽きた時は町のレストランへ行く。お気に入りの店で3〜5ルピーほど奮発して、置いてある新聞を読みながら人参のカレーとミルクコーヒーなどを食す。殆ど毎日、どこそこでバンディッツ(盗賊か?)が列車を襲ったとか、その列車が谷底に落ちて500人死亡したとか(列車はたいてい乗車率300%で屋根の上まで満杯である。一度事故が起きると被害も大きい)、まあ、どこの国でも同じ様な事件が紙面を飾るわけだ。ある日、一面の少々大きめの囲み記事にこんなのがあった。

「この度、ケーララ(インド南部の州)において第一回全インド乞食連盟の全国大会が開催され、…」
と、その全インド乞食連盟の初代会長に就任した、パンジャブ出身のナントカ氏(37才)の基調演説が顔写真とともに載っていた。

いわく、
「今こそ、全インドの虐げられた存在である我等乞食はここに一致団結し、力を合わせて家族の健康とハリジャンの繁栄の為に世の資本主義に対し…」。

乞食もハリジャンにとって、りっぱな一つの職業なのである。

カースト制度はこの国の歴史と文化において人々が生き抜くために生み出された必要悪であった、という説もある。その真偽善悪は別としても、実際問題としてインド人にとってはカースト制の存在は勿論大きいであろう。だが、ヒンズー教徒でない我々外国人旅行者にとっては、その存在は殆ど意識にのぼらないのだ。こちらとしては、誰がどの階層に属するのかちっとも解っていないわけで、レストランの床を掃いている男と話をしてたりすると、ある日インド人の知人から、あいつとはあまり親しく喋らないほうが良いなどと忠告されて頭の上にクエスチョンマークがいっぱい表示されることになる。彼は親切心で教えてくれたのであり、わざわざそのインド人の感情を刺激する必要もないのだが、余計なお世話ではあるのよね。旅行者にとっての悪人はなかば公然とワイロを要求する警官と役人であり、あこぎな商売人であり、ハリジャンの彼等は中でも愛すべき存在であることの方が多いのだから。

カーストという制度の外で暮らす我々にとっては、差別意識は持つ必要のないものであり(持つ必要のある差別意識なんてものもあるはずはないがね)、それどころか、差別はそれを意識することによって、助長されてしまうのだよ。世の中には知らないほうが良いこともあるのだな。さらに、こんなことも言えるぜ。被差別感情も、それ自身を意識することによってさらに助長される

例えば、部落差別問題を例にとって言えば、「私は部落民だ」と胸をはって公言しそれを誇りとすることにより、差別する側の意図は目的を失ってしまい、消滅するんだ。これは山梨大学の池田清彦先生も同じことをおっしゃっておられる。

あとな、俺は敢えて積極的に「差別問題的放送禁止用語」ってやつを口にする。メクラとかキチガイとかバンドマンとかって類いのやつだ。だが、そこに差別感情が無い限り、単なる「言葉」を規制することのアホらしさの方を指摘したいが為なのさ。冷静に理知的に考えれば、「差別する」という行為の何と無意味なことかは簡単にわかりそうなものなんだがね。

それでも差別するって人に対してはどうしようもないけどな。いくら悪いことだからやめろって云ったって、所詮悪い奴は悪いことをするのさ。

インドに来て、3ヵ月が過ぎようとしていた。ここで、我々外国人にはひとつかたずけねばならぬ仕事があった。ヴィザの延長である。インドの滞在許可は3ヵ月間であり、それ以上居たい者は、一度ネパールなど国外に出るか、もう3ヵ月の延長許可を得る必要があるのだ。まあ、シカトして出国時にワイロを払えば良ろしいという柔軟な規則(?)もあるらしいのだが、私は国内(箱根と秋葉原と池袋で囲まれた辺りということ。実家は横浜だ。)にいる時は、都内に車ででかけて路上駐車でレッカーされるのが嫌で結局外出しないことになるという性格だから、滞在許可の延長申請をすることにする。要するに単なる面倒くさがりやなのだな。

例えば、仕事で使用するラックに詰め込まれた楽器群の膨大な配線を、毎日スタジオと家でいちいち配線し直すことになるのが面倒くさくてたまらないので、それを免れるためのシステム造りなら、何日でもどんな手間暇をかけることも厭わないわけだな。ん?

例の移民事務所へ行ってみると、ここでは処理できぬからと、少々離れた大きな町、デラドゥンの事務所に出頭するように云われる。

バスと汽車とリクシャを乗り継いで半日かけてデラドゥンの事務所に行った。でっぷり太った係官は、書類を見るなり、リシュケシュに住んでいるならリシュケシュの事務所に行けと言う。いや、そこでここに来るように云われたのだからとつっこむと、今度は、今年から外国人は3ヵ月しかいられなくなったのだと言い出した。
ははあ、そう来ましたか。ちょっと見え見えで苦しい感じですが。この場合、旅慣れた旅行者の場合は、そこをひとつこういうことで、と幾らかの数字が記されたぼろぼろの紙束や腕時計などをちらつかせて許可を得る規則になってるらしい。だが、なにせ私はあてもなく暇なボンビー旅行者であるからして、この腹の太った役人に正攻法で付き合ってみることにした。
結局、昼食時の休憩をはさんで計3時間の攻防が続き、彼は今日の仕事は終りと判断したのか、どうしてもまだインドに居たいのかと聞いてきた。もちろんさ、だからここでこうしてるんだろと答えると、そうか、じゃあと書類にハンコを押してあっさり返してよこした。

つい先程までの、次から次へと湧いて出てくる拒絶の理由はいったい何だったのか、などと思い悩んでいてはインドでは暮らせない。
いやあ、さすがにあんたは太っ腹だ、なんてお世辞を言って、お互い、にこにこ笑って別れの挨拶をしてリシュケシュに戻った。

やはりインドは愉快だ。

つづく


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