World Tour 1981

不思議の国インド
そこでは
不思議なことはあたりまえ
(画:Dominique)

 その8…カリババ

隣に住むレバノン娘(レナウン娘ではない。プールサイドにも秋はこない。イェイイェーイ!)ドミニクはフランス語を話した。100までの数字の言い方と、「私はフランス語は喋れません」という文章を教わった。パツキン、ヘキガンでおふらんすだから、私はてっきりパリジェンヌだと勘違いして、何かの話しの折に「君達ヨーロッパの人間てやつは…」的な言い方をしたところ、あたしは中東の女よ、と憤慨かつ誇り高い調子で言われてしまった。

とにかく、彼女の友達にカリババと呼ばれるフランス人がいた。インドの言葉で、ババはおじさんってことだ。ジジはフランスではギャングの情婦である薄幸な踊り子役の名前に決まっており、カリはなんだか忘れたが、こいつはダリにそっくりのヒゲを生やしてたな。でも、ダリババじゃないんだな。カリババは既にパスポートも捨てちゃっていて、格好はサドゥー同然、持ち物も、毛布一枚と杖とお尻洗い用のかんからと小さなノートだけで暮らしてた。そのノートには、このページに載せたドミニクの絵の数千倍も細かな(誇大表現約1千倍)点描細密画がびっしり描いてあった。今までに3回、盗られたり森の中で落っことしたり何処かへ置き忘れてきたりしたけどもその度に必ず戻ってきたノートなんだとカリババは説明した。前にも言ったかもしれないが、俺はインドでの出来事は全て信じるぜ。ただしインド人が言ったんでなければだがな。

世界を旅するボンビー旅行者には、独特の同族を嗅ぎ分ける勘が発達しており、自分と同類の一人旅旅行者や特に下層階級に属するインド人とは親しく接しても、ツアー観光客などとの接触はなるべく避けるという傾向があったようだ(って私だけか?)。まあ、あちらさんにしても、わざわざインドに来てまで薄汚い同国人と友達になろうとは思わないだろうがね。
とにかく、そうしたボンビー旅行者は概ね皆個性的で変わっていて、単純に言ってオモシロかったのである。あまりに個性的過ぎて変わり過ぎていてオモシロ過ぎるゆえに、カリババのようにパスポートまで捨てちゃうような奴もいたりする訳だが。
ご多分にもれずカリババも話してみると学も深く、これまた魅力的な人物だったりするのだ。

日本でふと知り合った奴とインドの地でばったり逢って突然声をかけられること等も一度や二度ではない。インドという地の不思議さ故かと思っていたが、結局どこにいようと友達は同じ様な感性を持った人達の中から得られる訳で、世間は狭いと言うよりも自分の認識し得る世界が単に狭いだけなのだと思う方が正しいかも知れぬ。
数ヵ月後、トルコやアムステルダムの安宿で初めて会った旅行者から、カリババもやっと本国へ帰る気になったらしくパスポートの再申請にいったらしい、などとその後のインドの様々な情報が結構得られたというのも、決して不思議な話ではないのだ。

世界を一人で旅する女性も当然、芯とアクの強い人が多い。
ところがそんな中で、一風変わった(変わってるというのは我々の間では当り前の認識であるが、この場合、それと異なるタイプの)日本人の女の子がいた。(しかも、話しを聞いてみると、これがまたなんと同郷の友人の彼女!)
非常にシャイで消極的で東京の街中でも一人で歩けなさそうな感じの娘さんであったが、一人でインドに来ちまったのだそうだ。頼りないのは自分でも認識しているようで、まだインドに来て日も浅いけどけっこう大変なんです、と言葉少なにそれまでの失敗談を語っていた。これからアグラに寄って(アグラはデリーよりも南)帰国するというのでバスのターミナルを教える。ところが2週間程たった頃、またリシュケシュをうろうろしているところを発見し保護した。俺は補導員か。彼女いわく、あれからデリーに戻ろうとバスに乗ったところ、どうやらまたもや間違えたらしく、どういうわけか正反対のガンゴトリ(ガンゴトリはバスで3日ほど北に行ったヒマラヤの山奥である。)まで連れて行かれてしまい、やっとここまで戻って来たんだそうだ。

まあ、これを書いている現在では、たぶん無事に日本の家に戻っておられると思うが、もしまだだとしたら今ごろはきっとどんなことにも動じないくらい十分に強く成られていることと思う。はは、合掌。

つづく


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