World Tour 1981

そして旅はつづく
話もつづく

 その13…マジックバス

スワミとスイス・コテージの住人とウッタム先生や町のインド人の友人達に別れを告げて、私はニューデリーへ戻った。ポルとガルに貰ったオブジェは壊れやすかったので、部屋の壁に貼ったまま残してきた。ウッタム先生には日本から持ってきていた小さなリズムボックスを進呈した。その他の身の回りの旅に不要な品々はインド人に売り飛ばし、残りは貰ってくれそうな人にわけた。

特に何の予定も計画もあるわけではなかった。とりあえずニューデリーのバザールの安宿に泊まって、新しいタブラのセットや、両親へのプレゼントにじゅうたんをオールドデリーの迷路のような街中の店で買う。2階の宿の部屋からバザールの通りを眺めてぶらぶら暮らした。向かいのレストランの店先でプーリーを揚げていた少年が2階席に持って上がる途中で、盆から地面に落としてしまった。さっと拾い上げて服の裾でパンパンと泥を叩くと、少年は2階へ上がってそのプーリーを客に出している。はは、食べてら食べてら。リクシャが太った白人のカップルを乗せてやってくる。青いバックパックが真新しく光っている。ありゃあアメリカ人だな、きっと。顔にしまりがないから、直ぐわかるぜ。あっちでズタボロになって倒れているのは気の変になってしまったドイツ人だ。こっちで杖を持って立ち、ずっと通りを眺めてるのはフランス人だろう。カリババはどうしているかな。ジョンとドミニクはスイス・コテージに戻っただろうか。

ぶらぶらしているうちに、ヨーロッパから来たバック・パッカーのひとりからバスの話を聞いた。マジックバスというのがあって、ロンドンとネパールの間を運行しているという。赤い2階建てのロンドンバスがアジアンハイウェイを走っている様子を想像して心が騒いだ。そりゃ、いい。そいつでもっと西にいってみよう。早速バスが集まるという、オールドデリーのツーリスト・キャンプというテント村みたいな所に宿を移す。調べてみると、マジックバスはロンドンとカトマンドゥの間を細かくたくさんの営業所に分けて区間区間でバスを往復させて運行するものだという。その他にもいろいろなバスがあった。今日着いたバスは、とてつもなく大型の2両連結のエアコン完備なベンツの高級車だ。2階が客席になっており、一階にはラゲージスペースとキッチンがある。折り畳み式のテーブルと椅子が引き出されてセットされると、シェフと給仕が昼飯をサービスし始めた。客はドゴール空港からそのまま来ましたって感じの裕福そうな年配の白人ばかりで、サングラスをかけてヴィデオカメラをあちこちに向けている。うーん、これは快適そうだが飛行機より運賃が高そうだ。結局私が選んだのは、テオという歯抜けの大男が、自分で中古のバスをキャンピングカーに改裝してベルリン〜カトゥマンドゥ間を走らせている、オームというヒッピーバスである。オウム真理教とは関係ないよ。スケジュールを聞くとそろそろやってくるとのこと。

2、3日してオームのバスはやってきた。値段も高くない(確か$150くらいだったと思う)。乗客が集まったら出発し、行き先も臨機応変で適当にのんびり行くそうだ。いい加減でよろしい。私の語法では、「適当」というのは適度に当を得ているということで、「いい加減」は良い加減ということであり、どちらも肯定的な意味で使われるのだ。決めた。私以外の乗客は、ドイツ、オーストリア、スイス、オランダとドイツ系の住人ばかりだ。ベルリンのヨハンとバーデンバーデンの温泉娘アンナは一番若くて、二十歳くらいか。私と同世代のハンスとヘルムート。ちょい年上のゲオルグ。ちっこい赤ん坊とでっかいアルメニア・シープドッグを連れたこれまたでっかいオランダ人の夫婦。オーストリアからバイクでやってきた3人組。旅をしている間、日本人と結構気が合うのがなぜかドイツ人なのだ。真面目さとか集団になびく傾向とか、似た部分が多いのかね。こっそり顔を寄せて、「次んときはうまくやろうな」なんてブラックなジョークが出たりするよ。

ドイツ・ヒッピー・バスはパキスタンとの国境アムリツァールへ向かって出発した。

つづく


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