World Tour 1981

今回からは
くだらないシャレは
なしにしていくぞ。

 その16…真面目な話

ヒッピー・テオのバス、オーム号の乗客達は全員ドイツ系だったから、当然皆の会話はドイツ語でなされる。ただし、私の聞き取れるドイツ語は数字だけなので、私がいる時は英語で喋ってくれた。ヨハンにベルリンの様子を聞く。

ドイツには予備役軍の徴兵制がある。しかし、ベルリンの住民だけは徴兵制度を免れるそうだ。そこで徴兵制を嫌う若者がベルリンに集まる。しかし、この頃ヨーロッパは失業率が高く、ベルリンでも若者の仕事はない。若いエネルギーの発散ができない彼等は、勢いテロやギャングまがいの行為にでる。要するにチンピラやくざになるわけ。ベルリンは荒れているそうだ。ドイツにはトルコからの季節労働者が多く来ているのだが、彼等は、ネオ・ナチと呼ばれるアーリア系白人至上主義を唱えるテロ・グループの格好の標的となる。等々。

ヨハンはベルリンに関して特に悪い面だけを私に話してくれた訳だが、話しを聞けば聞くほど、日本の若者の状況とのギャップに驚く。平和で安全な国、日本。それは素晴しいことだが、その状況に甘やかされている日本の若者のあまりの問題意識の低さに比べると、ヨーロッパの若者ははるかに大人びているように感じた。親方日の丸政府に保護された日本の企業の繁栄のもと、物質的には豊かな暮らしを享受し、暗記中心の受験勉強地獄を突破しさえすれば遊び放題の大学生活。適当に卒論をこなして企業戦士となり、日の丸政府に恩返し。戦後、軍国主義を捨てて経済を選択した際に、何を間違ったか理念と文化をも捨て去ってしまったこの国には、経済分野以外の政策も将来に対するヴィジョンも国際社会に対する意見も何も無い。金の切れ目が縁の切れ目状態になったときどうなるのだろう。ナチスを生んだドイツは今だにその過ちと反省を背負い続けている。それは、彼等自身に流れになびきやすい国民性に対する自覚があるからだという。日本の場合、過去はもう過ぎたこととして、無かったことにしようとしているようにさえ、思える。

人権問題で言えば、朝鮮、琉球、アイヌ等についてはこれらの問題を無視し単一民族国家ということで片付けて、相変わらずの精神的鎖国状態。外交に関しては、アメリカの軍事力の傘の下、金は出すが力は貸せぬ。ただそれだけで済むと思っている様な幼稚な社会では、エコノミックアニマルと蔑まされても返す言葉は無い。

四方を海に囲まれて鎖国が可能だった日本と違い、陸続きの国境を持ち、たくさんの異なる民族の文化や宗教と接しざるを得なかった西欧では、必然的に個人主義が発達した。人間という根本的なレベルでの認識を別にすれば、なあなあで通じて解り合える(と思ってる)のは、日本という狭い地域の中だけのことなのだが。

前にも書いたが、かのように日本は、世界でも特殊な変わった国であることは確かである。しかし、その無知を逆に利用すれば、この地球に存在する宗教問題、民族問題に第三者的な立場で仲介者となれるのは、この東洋のへんてこりんな国の人間なのではないだろうか。西欧的な宗教心に縛られることもなく、既に民族的な誇りも捨ててしまった、金以外に執着心の無い我々こそ、国という概念をを捨てて宇宙船地球号の建設に乗り出すリーダーシップをとれる環境にあるのではないかと思うの。金の力でも構わない。むしろ、この場合は、地球を一つにまとめるためにはその豊かさが役立つはずだ。ただ、請われるままに金をだすのでなく、そこに思想とヴィジョンを盛り込んでの資金援助など、国際社会に貢献し得る使い方ができぬものだろうか?手始めは、いずれ国を動かすことになる今の若者がどんどん世界に出て、いろいろな考え方、価値観の存在を知り、それらとのコミュニケーションをとる方法を身につけることが必要だと思うよ。

とこれは私の勝手な妄想であるがね。旅するエセ比較人類文化科学者は、政治と経済も苦手だったりするので、もっと頭の良い誰かさん、考えてみてよ。よろしく。

つづく


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