World Tour 1981

やっぱり
かたい話は
抜きだ

 その17…象印な話

バスはパキスタンの砂漠を抜けて、イランに入った。

実はイランに入国する辺りのことは、全く記憶に無い。私の口の中、上顎の天井には小さな穴が空いている。E.T.接触関係の人々の話によると、これは宇宙人に何らかの装置をインプラントされた痕跡であるそうな。わたしゃ、不可知論者な上に科学者なもんだから、その真偽については眉が唾でベトベトなのだが、パキスタンの砂漠辺りなら、UFOも人目に付かずにオームのバスと接触できたかも知れないな。記憶がないのは、そのせいか。バイクの3人組みもオートバイごといつの間にか姿を消していた。インド製のバイクのどこが宇宙人の気をひいたのかは謎である。普通、穴は2つ一組なんだそうだが、私には穴はひとつしかない。私の場合、検査だけして、インプラントの価値は無いと判断されたのかもしれない。

この頃のイランはシャーが失脚してホメイニの時代だった。だから、アメリカ人は当然ながら入国を拒否された。どおりで陸路で西に向かうアメリカ人がいなかった訳ね。よっシャー、ドイツのヒッピーバスにして正解だった。これに対して、イランと日本との関係は大変よろしかったらしく、日本人はノーヴィザで入国できた。ヴィザの必要が無いのは、日本人の他はユーゴとリベリアかどこかの3ヵ国だけだと聞いた。このお返しに日本もイラン人旅行者に対してノーヴィザの扱いにしたもんだから、後にイラン人は上野公園でテレカを売るようになる。

テヘランはパキスタンのカラチと同様に大都会であり、ピルと車が一杯なだけで全く興味が湧かない。都会というのはどこでも同じに見えるね。ドイツ人だと思っていたテオは、イランの古都イスファハーンが第二の故郷だと語った。アルメニアで生まれたとも云っていたから、私にとっての第二の故郷、京都の場合の様に、イスファハーンが気に入って住んでただけなのか実はイラン人であったのかアルメニア人なのか、中途半端なインプラントの影響でまたよくわからなくなってきた。

インドを出て2週間程で、アルメニアのすぐ南、イランとトルコの国境に着いた。岩だらけの地面のトルコ側には、ノアの方舟がたどり着いたという、アララット山がそびえる。富士山によく似て裾野のきれいな、さすがに美しく神々しい山である。富士山より、小ぶりに見えるが、ここいら一帯は海抜1500メートル程の台地であり、実はアララット山の標高は5000メートルを超えるのである。この時、トルコは軍政の下、戒厳令の敷かれる時代でアララット山は入山禁止であった。以前に、アララット山の氷河の中で氷づけになった木製の大きな船をイギリスの調査団が発見した、というニュースを聞いたことがあるが、その後どうなったんだろう。

イラン国境警備隊のチェックは道中で一番厳しかった。バスは内装をバリバリとはがされ、ベッドにはナイフが突き立てられ、屋根の水のタンクの中までも懐中電灯で探られる。自家用車のタイヤチューブの中に大麻を隠して運ぼうとした西欧人が、タイヤにまで及ぶチェックに気が動転して逃げ走り、タンタンと撃たれてしまった話を誰かがした。国境の刑務所には同様に禁制品を見つけられて30年の刑で服役中の日本人もいるそうである。くわばらくわばら。

事務所の中で書類のチェックを終え、カウンターに沿った部屋の端にあるドアの向こう側はトルコである。そのドアの手前に係官が立っていて、はい、はい、とパンフレットを2、3枚配られる。文字はミミズの形だから読めないが、絵から判断するにお隣の国の悪口かなんかのようである。なんじゃろね、と眺めながらドアを抜けると、対称的に作られたトルコ側の事務所の中、同じ場所にまた係官が立っていて、チラシをはい、はい、と没収していく。隠す暇も無かった。まあ、仲の悪いのは政治レベルだけで地域の住人同士は気軽に国境を超えているということも良くある話だから、あのチラシも、ある程度数がたまったら、イラン側の係官にまとめて返したりしているのかも知れない。

トルコ側では、私だけ荷物を没収され、別室に監禁された。無線で何処かに身元の照会をしている。どうやら日本赤軍と疑われたらしい。約2時間後、無線の返事が届いて、幸い私はゾウさんチームなことが判明したので、係官も笑顔になって事情を説明してくれ、パンとコーヒーをご馳走になる。バスに戻ると、足止めを食った私をみんなが心配してくれていた。俺がテロリストでなくて皆も安心したことだろうよ。

(いまどきの人は、象印魔法瓶提供「家族対抗勝ち抜き唄合戦」なんて知らないんだろうなあ)

つづく


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